絵画から/絵画へ 山下麻衣+小林直人の原点回帰

井關悠(水戸芸術館現代美術センター学芸員)

移動・労働・時間

人間の条件の秘密、それは人間と彼とを取り巻く自然のさまざまな力とのあいだに釣合いがとれていないことである。活動していないときの人間は、これらの力によって無限に凌駕されているのである。活動のなかにしか均衡はない。そして、活動によって、人間は自分自身の生命を労働のなかに再創造する。
―シモーヌ・ヴェーユ『重力と恩寵』1

山下麻衣+小林直人はこれまで、世界各地を巡り、自然や生物と関わりながら、彼らの考える「現実」から少しずれた、あるいは、はみ出した「おかしな」事実を起こし、制作のプロセスとその結果を記録した映像、写真などによるドキュメンテーションを作品として発表してきた。山下+小林の、何気ない着想から生み出され、軽快でユーモアに満ちた作品は、錬金術的手法で「小さな奇跡のような一瞬」を呼び起こす。しかし同時に、「自分の時間なんていくらでも費やしてやるぞという気分」2と述べる小林の発言からも見て取れるように、膨大な時間と労働の帰結でもある。
《Rubbing a Camel》(2010年)は、6分56秒の映像と、背中のふたつの瘤が磨耗し鈍く黄金色に光るブロンズ製のラクダ像からなるビデオインスタレーションである。この作品は、日本の撫牛やイタリアの幸運の子豚像(Il Porcellino)など、世界各地に点在する、触れることで病気の治癒や幸福をもたらすとされる偶像信仰からの着想から制作されたものであるが、山下+小林はこのブロンズ像とともに、エジプト、スペイン、ドイツ、スイスを巡りながら、5ヶ月間にわたり瘤を撫で続けた。その過程を記録した映像からは、各都市の風景とともに、ほぼ同じ構図でひたすら瘤を撫で続ける二人の姿が映し出されている。
また《A Spoon Made From The Land(大地から作った1本のスプーン)》(2009年)は、千葉県の飯岡海岸で理科実験用の磁石で砂鉄をあつめ、日本古来の製鉄技術である“たたら製鉄”を用い、たったひとつのスプーンをつくる作品だ。2011年のヨコハマトリエンナーレでの展示では、スプーンを制作する過程を捉えたドキュメンテーション映像とともに、巨大な砂山の頂に、たたら製鉄によって鋳造されたスプーンが差し込まれた。《A Spoon Made From The Land(大地から作った1本のスプーン)》には、現代社会では雑貨店等で安価に購入できるスプーンを、莫大な時間と労力を徒して制作したその行為と過程に、山下+小林の価値観が反映されている。「アートに合理性は必要なく、自由な労働は最高の贅沢である」3と主張する山下+小林は、これらの作品において、不経済的かつ非効率な労働のなかに精神的自由を見いだし、そこに新たな価値や意味を創出している。そして「小さな目的」のため、合理主義の外へと身を置き「多大な労力」を注ぐことによって、資本主義的価値観に対し、ささやかに抵抗するとともに、未見/未知の世界のつながりや構造、物語を浮かび上がらせようとし、またその渦中に自身を置くことに悦びを見出しているのだろう。

記憶と風景

山下+小林の出身地である千葉市の小中学校には、「春の絵を描く会」という年中行事がある。同行事は図工・美術授業の一環として、春の風景を描くため遠足に行くというものらしい。
最近作のひとつである《春の福島の絵を描く会》(2015年)は、山下+小林の美術の原体験ともいえる「春の絵を描く会」からの着想から、JR常磐線竜田駅から夜ノ森駅にかけての約10kmを、自転車で巡りながら、風景を水彩画により記録した作品だ。彼らが描いた地域は、2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに続く福島第一原子力発電所事故の影響により、竜田駅以北、原ノ町駅までが不通区間となったままである4
山下+小林が「子供時代の懐かしい気持ちを思い出しつつ(中略)、人が住まなくなった地/自然が復活した地を自転車で巡り、その何気ない景色や時に生々しい傷跡も含めて」5 描いた風景には、3.11以降、列車の運行が休止となった線路(JR竜田駅北側)、打ち捨てられたままの壊れた車(JR富岡駅前)、途中で折れた電柱(楢葉町波倉)、津波で流され基礎だけが残った家屋跡(楢葉町山田浜 #1)、取り壊しを待つ牛の居ない牛舎(楢葉町上繁岡)など、荒廃した集落の様子が描かれている。また「しゃへい」と書かれた、除染で発生した汚染土が詰め込まれた土嚢が堆く積み上げられた汚染土仮置き場(富岡町仏浜仮置場)、耕作されなくなった田畑に置かれたままの土嚢(富岡町上郡山)や、放射線量を測るモニタリングポストが置かれた公園(富岡町岡内中央児童公園)など、原発事故によってもたらされた状況が直截描かれたものもある。一方で、汚染土を除去した後に動物が通った蹄の跡が残る大地(富岡町下郡山)や、路上を這う蛇(楢葉町山田浜 #2)など、確実に、今なおそこに息づく生命の発見もある。(JR竜田駅北側)では、線路脇だけでなく路盤にまで草木が生い茂りはじめており、野生への回帰と見てとることもできよう。もちろん、これはあくまで同地域の一面でしかない。福島第一原子力発電所では今なお一日五千人規模の作業員らの出入りがあり、楢葉町や隣の広野町一部地域には、同発電所収束作業の従事者たちが数千人単位で居住しはじめているという6。人が入らなくなったことにより、自然環境が大きく様変わりした同地域は、いつしか除染作業が完了し、また再び人々の暮らす里山や海辺の街のすがたへと戻っていくのかもしれない。
山下+小林は「感情的にも感傷的にもならず、また目に見えないものへの恐怖に飲まれることも無く、目に映るままの風景を素朴に切り取ってくることが、美術家としての私達にできる最大限のこと」7と言う。山下+小林は、今この場所で、目では見ることのできない放射線に対し、目に見えるものだけを描くことによって、写真や映像では記録できないものを、彼らの視座によって捉えようとしているのではないだろうか。
山下+小林の作品に、山を麓から眼前に捉え、携えて行った薪に山の木彫を彫るシリーズ《How to make a mountain sculpture》(2006年−)がある。「見て、作る」という制作の基礎に基づき、モチーフとなる山々を眼前に、木彫を制作するプロジェクトである。同シリーズは、山下+小林が2006年にスイスで滞在制作していた際のスイスアルプスの山々に始まるが、東日本大震災発生時ベルリンに滞在していた彼らは、帰国後の2012年より日本各地の山々を対象に、同シリーズの日本編の制作に取りかかる。海外編同様、木彫とともに提示される写真には大自然のなかで制作に励む二人の姿が写されているものの、日本編においては、生まれ育った地の風土と自然を見つめ直すという視点で制作されているように思われる。地球の陸地面積の0.25%程度の国土に全世界の7%の活火山が集まる火山列島の日本では、常に噴火により山の形状が変わりかねない状況にある。山下+小林は、自身の目で見た山々を自身の手により彫りだすことで、山の形状のみならず、五感を以って体験したものを、身体的記憶へと留めようとしているかのようであり、またそれは《春の福島の絵を描く会》の写生による描写も同様、その場に行き制作する時間と移動と労働の過程のなかに、物語を創出することでもある。《春の福島の絵を描く会》には(富岡町夜ノ森)という、桜の名所を描いた絵がある。夜ノ森の桜並木は1900年に始まる同地区の農地開拓の歴史とともに歩んできた富岡町のシンボルであり、2.2㎞におよぶ通りにソメイヨシノが約400本並ぶ春の観光名所でもあるが、3.11以降、同地区は帰還困難区域に指定された。2013年3月の避難区域再編により、南側の300mのみが日中立ち入り可能となったものの、今なお大半は帰還困難区域に指定されたまま、作品に描かれているように、バリケードによって分断された状況が続いている。バリケードとその傍らに立てられた帰還困難区域を示す看板がなければ、桜が満開に咲きほこる、かつての夜ノ森と変わらない春の風景となる。時が流れ、復興が進み、いずれフクシマがかつての風景を取り戻す日が訪れるかもしれない。そのとき《春の福島の絵を描く会》は新たな意味を持つことだろう。

絵画から/絵画へ

山下+小林は美大油画科出身でありながら、ほとんど絵画作品を制作していない。これは現代美術においては特に珍しいことではないかもしれないが、ほぼ絵画以外のメディア素材を駆使し、制作してきた彼らにとって、やはり絵画は特別な存在のように思えてくる。
本展の中心を占める新作は、山下+小林がこれまでの作家活動を通じ、自身の作品のアイデアとその思索について記録したノートの表紙を描いた《Artist’s Notebook》(2014-15年)[pp.6-41]のシリーズだ。計36点におよぶカンヴァスに描かれたノートは、2001年に「山下麻衣+小林直人」としてアーティスト活動を開始する以前より、アイデアを記し続けてきたものである。実際に作品として具現化されたアイデアもあれば、これから制作される可能性を秘めたもの、また実現されることのないままページに眠り続けるものもあるだろう。しかし鑑賞者である我々には、ページをめくり、それらを実際に目にすることはできない。ただ、描かれているノートの表紙と無数の付箋から、これまでの彼らの活動の時間と移動、そして思索の過程を推測するほかない。我々はノートの中身を想像することで、まだ見ぬ山下+小林の作品像を自ら描きだすことになる。
新作シリーズ《僕と私》(2015年)[p.49]《世界》(2015年)[p.50]《美術》(2015年)[p.51]は、「ゲシュタルト崩壊」「意味飽和」と呼ばれる、視聴覚における持続的な処理に伴って生じる文字情報や音韻情報を含む形態や意味が変容する現象を題材にした作品である。山下+小林が「僕」「私」「世界」「美術」の4つの単語を、マウントされた透明フィルム数百枚に直接書き続け、うち各々80点をスライドプロジェクション(「僕」と「私」)、およびライトボックスの上に整列(「世界」と「美術」)して提示する。4つの単語は書きつづけられていくにつれ、崩壊と再構築を繰り返し、あたかも自己とそれを取り巻く“美術”、そして“世界”を指し示すかのように崩れていってはまた立ち上がっていく。
いくつもの、そしてさまざまな軌跡を描き、時には原点へ戻り、またそこから離れていく。そうしてしだいに振幅を拡げた軌跡を結ぶ、その中心点に、山下+小林のアーティストとしての像が立ち上がるのだ。絵画への復帰は、ひとつの周期を終え、起点に立ち戻り、より大きく弧を描く次の軌跡へと進むための転形期に彼らがあることを示唆している。

単調さは、あらゆるもののなかでいちばん美しいか、さもなければいちばんおぞましいものである。それが永遠の繁栄であれば、こよなく美しい。変化のない絶え間ない繰り返しのしるしであれば、最もおぞましいものである。前者は超越された時間であり、後者は不毛化された時間である。円は美しい単調さの象徴であり、振り子の振動は耐えがたい単調さの象徴である。
―シモーヌ・ヴェーユ『重力と恩寵』8

本展にはもうひとつ、《ヒエログリフで書かれたアーティスト・ステートメント》(2015年)[pp.1-3]という3点組の絵画作品がある。ヒエログリフは古代エジプトで使われたエジプト文字のうちのひとつで、紀元4世紀以降、使用されることなく、読み方も忘れられていたが、19世紀、フランス人エジプト学者ジャン=フランソワ・シャンポリオンのロゼッタ・ストーン解読により、読み方が解明された。ヒエログリフは象形文字でありながら単に読みを表す表音文字が多い。そのため日本語をヒエログリフで表記することも可能である。山下+小林はヒエログリフでステートメントを発表しているが、何ということもない。根気よく対応表を片手に読み解けば、彼らが何を言わんとしているか、すぐに理解できるはずだ。いかにも、ユーモアによって作品に生命を宿らせてきた山下+小林らしいたくらみである。

 

1,8 『重力と恩寵』シモーヌ・ヴェーユ著、渡辺義愛訳、春秋社、2009年
2 インタビュー: 事を起こす、聞き手: 小川希、I wish upon a star展カタログ、2009年
3,7 筆者メールによるインタビューより
4 2015年3月10日、国土交通省は、2018年3月までに同区間を復旧し、2016年春までに復旧予定の小高駅-原ノ町駅間、2017年春までに復旧予定の浪江駅-小高駅間とあわせ、全面復旧の決定を発表した。ただし、帰還困難区域を含む富岡駅-浪江駅間は、除染や安全確保策の完了後に復旧となる
5 山下麻衣+小林直人《春の福島の絵を描く会》制作コンセプトノートより
6 『常磐線中心主義』五十嵐泰正・開沼博編、河出書房新社、2015年